2023年7月7日 5:23:50
Imazu
第十二回 古千手院の古とは?
【手にする機会はまずない?】
東京スカイツリーがオープンする直前の2012年4月末、TBSテレビの人気番組『ぴったんこカンカン』で、日本刀の反りと東京スカイツリーの関係が採り上げられたことは、前回にご紹介しましたが、改めて古千手院の太刀の詳細を解説します。時代の上がる日本刀の地鉄と刃中の働きの本質を鑑賞して下さい。恐らく手にとって鑑賞する機会がほとんどないであろう、超の付くほどの歴史的史料価値の高い名品です。
【太刀 無銘 古千手院】
古い時代の日本刀というと、これまでの大河ドラマに登場したような平家の台頭や源義経の活躍などに当たる、平安時代末期から鎌倉時代初期の作が最も時代が上がるというのが一般的な認識であろうと思います。
実際に刀剣店の店先に展示されている太刀で、最も古いのはその頃の作でしょう。
【宝刀の鍛造された時代】
しかし、源頼政による鵺退治の伝説や、稲荷信仰に関わる三条宗近の伝承があるように、平安時代中期から後期にかけて腰反りの特に強い太刀が歴史に登場しており、さらに時代が遡った平安時代前期には、後に平家の所蔵となり宝刀として伝えられた小烏丸の太刀などが製作されたと考えられています。
【太刀 無銘 古千手院】
今回紹介する太刀は、大和国の千手院派の、源平合戦の時代を遡る平安時代中期の作で、しかも生ぶのままの造り込み(製作されたそのままの姿格好)です。刃長二尺五寸四分、反り七分。茎(手で保持する部分)の辺りで強く反り、刀身中ほどから反りが少なくなり、物打から上は反りがなく、切先はごく小さく仕立てられています。
【千手院と古千手院】
千手院派とは、大和国において古くから太刀の製作をしていた集団の一つで、鍛冶場のあった場所は、その呼称のとおり、奈良東大寺の子院である千手院があった辺り(東大寺の東の谷)と考えられています。
千手院派の主活躍期は鎌倉時代から南北朝時代ですが、銘を切るという習慣がなかったのでしょうか、ほとんどが無銘です。
さて、古千手院と表記しましたが、なぜ千手院ではなく古千手院なのでしょうか。
【「古」の持つ意味とは?】
古~と称する例では芸術性の高い焼物に古萩、古唐津などの呼び名があることと同様に、日本刀の場合でも地域や流派によって異なりますが、時代的な作風の違いから、古~、中~、末~などのように分類しているものです。
一般的な刀剣類では鎌倉時代中期以前の作を古~と分類する傾向にありますが、千手院派の歴史は特に古いため、鎌倉時代初期以前の作を古千手院、これ以降南北朝時代までを単に千手院と呼び分けています。即ちこの太刀は、千手院派の中ではもちろん、刀工全体を眺めても特に古い時代の作であるということです。
次回は、少々風合いの異なる地鉄について眺めてみましょう。
日本刀専門店 銀座長州屋