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私の正体は? ―鑑定刀 第十三回(最終回)【解答】



【解答】

一振目:[正解]太刀 銘 光正(千手院)




問題1は千手院光正の太刀でした。

 生ぶ茎で、反りは笠木反り。これは腰元で反ったように見える備前の腰反りとか、先で反っているように見える戦国時代の刀の反りとはことなり、ほぼほぼ中間に反りがあるように見える神社の鳥居の反りに似た形状です。

 この太刀は身幅が広く腰元で踏ん張っているように見えます。長寸で鋒は小鋒に結んでいる。なんとも典雅な感じですが、これは平安後期から鎌倉初期の太刀の姿です。理屈抜きに美しい姿といってもいいでしょうねえ。

 そして地鉄は鎬地、平地、全体が大板目にうねるような柾目が配されていてます。新刀であれば、鎬地は綺麗な柾目になるのですが、古刀の、それもうんと古いところは、全体が同じ鍛えになるんですねー。如何にも古刀という感じです。

 そして光に透かして見ると、刃文の際は黒く澄んでいるように見えます。そして平地には沸の映りが立っている・・・。こういう白と黒の、如何にも自然なコントラスト・・・これも古作の魅力です。

 刃文は奔放で力強いです。直刃調で、小互の目を交えています。地鉄の鍛えに感応して、刃境に段状の湯走り、打ちのけ、そして金線・砂流しが幾重にもかかる・・・あー、大和伝だなあ。それも時代の上がる一派だろうなあと感じることが大事です。

 作者は千手院派の光正です。在銘です。誰だろう・・・『日本刀銘鑑』を見ても・・・いません・・・いないというか、光正という千手院派の刀工の記述がありません。

 どうしてか・・・それは古い時代の刀工、古備前にせよ、古青江もせよ、その人一代しかいない一人鍛治だからだと考えられます。それに千手院鍛冶は「千手院」とだけ刻した作すらありますよ。東京国立博物館にはそういう作(重要美術品)があるそうです。

 解答としては大和千手院派 あるいは大和物の古いところ という見方でよいと思います。

 茎は錆が深いです。鑢目も判然としませんし、製作されて以来の八百年の歳月を感じざるを得ません。そこに「光正」と何とも雅味のある二字の銘・・・たまらんですよー。こういうのを名刀というんですね。




太刀 銘 光正(千手院)

Tachi : Sig. MITSUMASA (Senjuin school)



 


二振目:[正解]脇差 銘 伯耆守平朝臣正幸 寛政二年戌二月




問題2は伯耆守平朝臣正幸の寛政二年戌二月紀の脇差でした。


伯耆守正幸は初め薩州住正良と銘し、伯耆守を受領し、正幸と改めます

薩摩相州伝の名手です。奥元平と双璧です。

長壽老成の刀工で、初作は三十二歳の時、受領したのも五十七歳、そして八十五歳作もあります。

優れた門人の多く、また慕われていたので、そうやって長く作刀できたのでしょう。

もちろん、老いてなお意欲も技術も衰えなかったことはいうまでもないですね。

さてこの脇差は幅広で元先の幅差が少なく、鋒が伸びた感じがあります。

南北朝時代の作みたいに見えますが、地刃は瑞々しいので、新々刀かなあと当たりを付けます。

地鉄は詰み澄んでいますが、筋状の肌が入っています。これも正幸の特色です

彼は、江戸後期の刀工がままやる硬度の異なる鉄を配合し、合わせ鍛えているのでしょう。

刃文は互の目に尖った刃を交えて高低広狭に変化しています。志津三郎兼氏の刃文を想像させます。

この刃文構成も正幸の得意としたところです。

決め手は茎が剣形になり、勝手下がりではなく、勝手上がり鑢になっていること。

そして今回はわかりませんが、茎の棟を上から見ると、先が太くなっている感じがあります

これは深海信彦社長のYouTubeでも説明していますが、見逃せない特色ですね。

脇差 銘 伯耆守平朝臣正幸 寛政二年戌二月

Wakizashi: Sig.Hoki no kami Taira no ason MASAYOSHI, Kansei 2 nen Inu 2 gatsu






 



以上です。

11月号はWebサイト上で公開しておりますので、出題した刀の解説ページも併せて御覧になってみてくださいね。

鑑定刀は今回が最終回となります。1年間ありがとうございました。

今後は不定期に本ブログで出題するかもしれません。その時はまた振るってご参加お待ちしております。














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