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私の正体は? ―鑑定刀 第十回【解答】



【解答】

一振目:[正解]脇差 銘 和泉守藤原國貞(大業物)





問題1は和泉守藤原國貞の脇差でした。

身幅広く重ね厚く中鋒・・・時代は江戸前期、新刀か?反りが極端に浅くない・・・となると江戸時代の寛文じゃないわけかー。となると慶長元和、それにしては、幅広豪壮ってわけではない・・・じゃあ、寛永新刀

刃文は互の目丁子で小沸がついて明るく、冴えています・・・かなり上手な人みたい・・・長い焼き出しがある・・・大坂新刀・・・。寛永頃の大坂の名手といえば、もう和泉守國貞か、河内守國助、はたまた初代粟田口近江守忠綱・・・ですが、

こういう刃文はやはり和泉守國貞ですね。

彼は大坂に元和頃出てきます。その前は京都にいました。堀川國廣に弟子入り。実家は刀鍛冶?いや違います。彼の実家は日向国(宮崎県)飫肥の西教寺という浄土宗のお寺さん。本来ならお寺を継いで、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、と唱えて一生を終えたのでしょうが、そうはいかなかった。義理のお母さんと仲が悪く、家出したのです。九州日向からはるばる京都へ・・・何がどうしてどうなったんでしょうねえ。

大坂へ出たのは、師匠が死んだというのもありますが、やはりフロンティア精神でしょう。

大坂夏の陣で城が焼けて、徳川幕府が新しい大坂城を築き、城下町が整備されつつあった。

活気があったでしょうねえ。

彼と兄弟弟子の河内守國助がいち早く大坂に進出したといわれていますが、彼らがいて、活躍したからこそ大坂新刀は花開いたのでしょう。




脇差 銘 和泉守藤原國貞(大業物) 黒地鱗刻塗鞘脇差拵入

Wakizashi: Sig. Izumi no kami Fujiwara no KUNISADA (O Wazamono)

Kuro uroko kizami nuri saya, wakizashi koshirae


 

二振目:[正解]刀 銘(裏菊紋)和泉守来金道(三代)(業物)





問題2は和泉守来金道の刀でした。

三分五厘と反りがとても浅くて中鋒延びごころのすらったとした姿ですので、

江戸時代前期、寛文頃かも知れないと考えます。

地鉄は精美で、潤いがあるとなると、大坂かなあ。京都だろうか。

刃文は湯走り、太い沸筋、金線が目立つ・・・なんか縞状になってるかなー、となると、簾刃かなー?

うーん。なんだろうなあ・・・。

帽子について、親族の作の帽子の形が特筆されています。〇〇帽子・・・あれかなあ・・・。

茎は生ぶではないのですが、茎尻は尖った栗尻で、筋違鑢。そして裏菊紋があるという・・・菊紋となると大坂には菊紋を刻する人が、高井越前守信吉とか、井上真改備中守康廣とかいますが・・・。

親族の〇〇帽子勅許の裏菊紋・・・これ、京都の三品派、伊賀守金道の一家かも知れない、と閃いたらすごいですよ。

受領銘と名前の間に姓があるけど、これが一字。源?橘?親族は藤原だとありますから、源氏とか橘氏ではない。

親族に藤原姓がいる・・・金道なら伊賀守藤原金道。その一族で一字姓・・・あー、来金道

伊賀守金道は弟和泉守来金道、丹波守吉道、越中守正俊の四人兄弟。彼らは慶長から寛永頃。

和泉守来金道の子どもが越後守来金道で、寛文頃の和泉守来金道が三代目

彼らの家系のことは『鍛冶金道系図』からいろいろわかるのですが、江戸後期に、ある目的があって作られていますので、

この系図に登場しない人もままいます。伊豆守金道も越後守来金道もいません。

が、作例を検討すると、和泉守来金道―越後守来金道―和泉守来金道・・・と続くと考えるのが自然ですかねー。

この刀は沸の煌めきが美しく、刃文は志津兼氏を想わせます。禁裏御用を勤めた名門・・・伊達ではないですね。




刀 銘(菊紋)和泉守来金道(三代)(業物)

Katana: Sig. [Kiku-mon] Izumi no kami Rai KINMICHI (The 3rd generation) (Wazamono)

 


以上です。


いつもと同様、月刊『銀座情報』(令和6年8年号)掲載品からの出題です。

今回も二振、出題してみました。

如何でしょうか?




『銀座情報』8月号はWeb公開中です。






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