新商品のご案内 脇差 大磨上無銘 宇多國房
越中国 室町時代初期 応永頃 約600年前
宇多派は鎌倉末期に大和国宇陀郡出身の古入道國光に始まり、國房、國宗ら優工を輩出し、南北朝・室町期にわたって栄えた。柾がかる地鉄に沸出来乱刃の、大和伝に相州伝を加味した地刃の作を遺している。 この脇差は宇多國房極めの大磨上無銘の一振。鎬地の肉が削ぎ落され、反り浅く中鋒慎まやかに造りこまれている。 地鉄は鎬地に綾杉状にうねる柾目を配し、平地は小板目に柾を交えて詰む。処々に黒い地斑が現れ、乱れごころの映りとなる。鎬筋に沿って施された薙刀樋風の彫刻も個性的で、古名刀の風情を漂わせている。 刃文はゆったりとした湾れに互の目を交え、深くついた沸の粒子が刃中に零れ、相州伝の雪の叢消えの如き様相を呈する。刃境に小形の金線、細かな砂流し、打ちのけ風に湯走りかかり、処々喰い違い、足入り、刃中に沸匂が充満して蒼く冴える。
大磨上無銘の茎は横鑢で丁寧に仕立てられている。
尚、往時は京粟田口國清として伝来したものであろう。昭和二十七年東京都発行の登録証には当時の登録審査員により「無銘(傳粟田口国清)」と万年筆で記されている。