top of page

新企画|私の正体は? ―鑑定刀 第二回【解答】


【解答】

一振目:[正解]刀 銘 固山宗次 天保八年八月日 同年十月廿七日於千住太々土壇拂(固山宗次





問題1は固山宗次の天保八年八月日紀の刀でした。

固山宗次は本国、陸奥国白河で、江戸に出て、活躍しました。

問題の刀は彼が最も得意とする丁子乱刃でした。

彼は才能もあり、そして努力もしたのでしょう。

同時代の他の刀工の多くが、丁子刃の刃縁に荒沸(粒の大きい沸)が交るのに、

宗次の場合、一切、荒沸が入らない、とてもきれいな粒子の細かな沸で形成された、

所謂匂出来の丁子乱刃となります。これは並大抵のことではありません。

余計な雑味がなく、冴え冴えとしている・・・美しく、しかも切れ味も抜群だと想像されます。

実際、彼は切れ味にうるさい刀工で、切れ味の良さを生涯追及しています。

問題の刀には切れ味を試した結果を示す截断銘があります。

「千住において太々土壇拂」・・・千住は切った地名、太々(たいたい)は胴体の肩甲骨を通る辺り、

土壇拂は、断ち切った後、人体を据え付けてあった土台をも切り下げました、という意味です。

宗次にはこういう截断銘が多いです

切り手は、犬山城主・成瀬氏の家臣であった伊賀乗重という試刀の名手や

有名な山田浅右衛門(首斬り浅右衛門)でした。

今回の作も恐らくそのどちらかでしょう。

そして弘化二年、彼は備前介を受領しています。これも大ヒントでした。




固山宗次 天保八年八月日 同年十月廿七日於千住太々土壇拂(重要刀剣)


 

二振目:[正解]短刀 銘 平安城長吉





二振目の答えは平安城長吉の短刀でした。

長吉は室町時代、延徳・明応頃の山城国京の刀工です。

同時代の同派の刀工としては吉則がいます。

(そして鞍馬関の呼称のある吉次も、どうやら一派です)

姿は無反り、引き締まっており、延徳・明応頃の体配です。

この刀工の作には彫物のある作が少なくありません

この草倶利迦羅の彫などは典型的です。体配とこの彫で半分くらいは答えがでそうです

問題は刃文と茎の形です。

表裏揃っている、魚の鱮の腹を想わせる茎形・・・え、村正と思われた方はよく知っていますね。

ただ、平安城長吉一派の作風、そして茎と村正一派の茎の形は似ています

それ故、両者に交流があったと考えられます




短刀 銘 平安城長吉(重要刀剣)



 

三振目:[正解]菖蒲造脇差 銘 忠廣







三振目の答えは近江大掾忠廣の、二字銘の脇差でした。

最大のヒントは、刃文の中に、昆虫の目玉を想わせる独特の形の刃を交えているとあることです。

昆虫の目玉は虻の目で、これで。あー、これは肥前刀だなあとわかります。

しかも地鉄も刃文も出来がよい。上手な肥前刀工だろうなあと。

それから長寿の刀工の若い時代の作であるというのもヒントです。

他界した父の跡を継いだ翌年二十歳の作、というのは寛永十年の作。

その八年後、寛永十八年七月二十二日、忠廣は近江大掾を受領しています。

茎形は深海社長の動画で解説されていますが、下から刃区棟区方向へ向かって広がり「百合の花」のような形になっていることも、近江大掾忠廣の若い時代の作らしいところです。

刃文も改めて見ると、互の目に房形の丁子刃、尖りごころの刃を交えて高低に変化し、

若々しく、生き生きとしているように見えませんか?

まだ大成する以前の作ですが、実に魅力がありますね。





菖蒲造脇差 銘 忠廣(近江大掾)(大業物)



茎の百合の花についてはこの動画で詳しく解説しております。

 

いかがでしたでしょうか?

今回問題として採り上げた三振は、11月16日発売の月刊『銀座情報』12月号(446号)に掲載されております。

(Web版の公開は11/22からの予定です)








新刊書籍

『刀掛』 伊藤満 著 定価 30,250円(税込)送料別途 1,350円

弊社でも販売しております。

月刊『銀座情報』定期購読もしくはメールマガジン購読の皆様には、心ばかりですがご優待がございます)


タグ:

Comentarios


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
bottom of page