新商品のご案内 短刀 銘 廣正
繊細鋭利な鑚使いで刻された梵字と護摩箸の彫が映えた、美しくも厳かな一口。
高位武将と常に戦陣を共にした作で、短躯ながらも室町期の相州鍛冶の優質が凝縮された逸品
室町時代、東国を治めた鎌倉公方は京都の将軍と折に触れ対立した。これに関東管領上杉氏や有力武将の動向が絡んで争乱の火種が拡大し、享徳三年に鎌倉公方足利成氏が父持氏の敵上杉憲忠を討つに至って関東は戦国時代に突入した。太田道灌や長尾景春、伊勢新九郎などが躍動した当時、相州鍛冶の伝統を担ったのは綱廣、廣次、廣正など廣の字を通名とする刀工で、東国武士の武功を支えた。
応永23(1416) 上杉禅秀の乱 関東管領上杉禅秀と室町幕府四代将軍の弟義嗣が結託したクーデター。これによって鎌倉公方の座を追われた持氏は駿河へ逃れる。
永享10(1438) 永享の乱 応永23年のクーデター後、鎌倉府とそれを補佐する関東管領はしばしば対立関係にあった。上杉禅秀の乱で追放された持氏は、室町幕府に反抗の意思を示し、一時は和解するが、永享10年にとうとう軍事的な衝突が起こる。これによって持氏は自害という最期を迎える。
享徳3(1455) 享徳の大乱 永享の乱に勝利した義教が実子を次の鎌倉公方として下向させようとすると、それに抵抗した東国の有力武将などが持氏の遺児奉じて挙兵(結城合戦)。しかしこれも鎮圧され、関東は幕府の強い影響の元、上杉氏の専制統治がなされていた。そんな状況下、義教が暗殺されると状況は一転。幕府は持氏の遺児成氏を鎌倉公方に立てることを承諾。ここに鎌倉公方が復権するが、成氏は父を自害に追いやった関東管領の上杉氏を冷遇し、これに反発した上杉派と対立し、享徳3年ついに成氏が関東管領の上杉憲忠を誅殺。そこから大乱へと発展し、関東は戦国の世へと突入していくこととなる。
ことの発端となった上杉禅秀の乱は、以前の動画(菖蒲造脇差 銘 備州長舩師景 応永廿三年八月日)で、詳しく解説しております。
TOPIX
月刊『銀座情報』437号(令和5年三月)
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