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新商品のご案内 脇差 銘 備州長船盛重 應永□□□月日(業物)
- 銀座長州屋WEB編集部
- 1月18日
- 読了時間: 4分
更新日:1月25日
脇差 銘 備州長船盛重 応永□□□月日(業物)
Wakizashi: Sig. Bishu Osafune MORISHIGE / Oei ・・・gatsujitsu (Wazamono)
―盛光・康光に比肩しうる出来栄え―
長舩盛重は大宮派とされ、南北朝期の初代、応永の二代、永享の三代、以下七代まで続いている(『日本刀銘鑑』)。だが逆鑚(さかたがね)を使用しないこと、作風が盛光に近似していること、『古刀銘盡』に盛光子とあることを根拠に、応永盛光の一派とみる説が有力である。應永廿六年十二月日紀の備州長舩盛重の太刀(第十七回重要刀剣)や、永享三年辛亥八月日紀の太刀(第三十八回重要刀剣)は、腰開き互の目に丁子を交えた応永備前の作風であり、また、藤代版『日本刀工辞典』でも「盛重は長船正系と同じく逆鑚でなく作風も盛光に接近している」と、盛光一門説を支持している。
身幅の割に寸が延び、反り浅く、細い棒樋が区上で丸止とされた、盛光に見紛う造り込み。銘形は盛光と酷似し、応永年間の作である点も貴重。盛光初期作と同じ作風で出来も上々。

板目鍛えの地鉄は杢目が目立ち、厚い地沸の付いた中に太い地景が入って肌が鮮明に起ち、差裏区上の刃の際に白い棒状の映りが現れる。

拵は古色ある黒漆塗鞘に刻された細線状の溝に微細な銀粉を
付して描かれた氷割文が光を反射して浮かび上がる極上の
演出がなされている。
公開しました(1/25)
火縄銃 銘 二重巻張 江州國友藤兵衛 能当
銀座長州屋YouTubeチャンネルにて公開中。
戦国時代の天文十二年(1543年)に種子島に伝来した火縄銃。以降、その新しい武器は長篠の合戦、関ケ原の合戦といった歴史のターニングポイントとなる合戦の勝敗の行方を決し、戦国の世から新しい時代へと歩みを踏み出させることとなった。
合戦の在り方を激変させたといっても過言ではない、戦国以降の戦の主要武器となった火縄銃の製造を生業としていたのが、近江国国友村(現在の滋賀県長浜市)を拠点とした国友一派。今回は同派きっての名工、国友一貫斎藤兵衛 能当の在銘の火縄銃を採り上げてまいります。
また国友一貫斎と言えば、本業の火縄銃の製作はもとより、天体望遠鏡を自作して日本で初めて太陽の黒点を観察したり、月面を観測し詳細な月面地図を作製した、「科学者」としての側面も持つ人物。他にも阿蘭陀伝来の空気銃を参考に、それを遥かに凌ぐ性能の連射式の空気銃(気砲)を製造する等、その多方面に亘る万能の才能と能力から、「江戸のダヴィンチ」「江戸のエジソン」と異名される、マルチの天才として知られております。
徳川の泰平の治世も後半に差し掛かり、依然鎖国下でありながらも激変する世界の情勢の影響を無視することが出来なくなった江戸後期。八代将軍吉宗が洋学を解禁し、それにより平賀源内、司馬江漢といった西洋の文明をいち早く感じ取り採り入れた異才天才たちが世に登場したその後を追うように現れた天才技術者にして火縄銃の名匠、国友一貫斎の人物像から、精巧緻密にしてしなやかで強靭な美しさも併せ持つ一貫斎の手掛けた火縄銃を、つぶさに解説してまいります。

銀座長州屋YouTubeチャンネルにて公開中。
月刊『銀座情報』2025年2月号(460号)
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