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新商品のご案内 脇差 銘 越前國兼植作 元亀二年三月十八日



元日の能登半島を襲いました地震により被災された皆様には

心よりのお見舞いを申し上げます。




平造脇差 銘 越前國兼植作 元亀二年三月十八日

Hira-zukuri wakizashi:

Sig. Echizen no kuni KANETANE saku / Genki 2 nen 3 gatsu 18 nichi

―戦国の越前一乗谷で朝倉氏の需に応えた優工の一口

 越前兼植(かねたね)は本国美濃。美濃刀工の多くが古刀期末から新刀初期に越前へ移住している。戦国武将朝倉氏の本拠地一乗谷では兼則や兼法などが鎚を振るっており、天正元年に朝倉氏が滅亡した後は、北ノ庄(現福井)に移り、織田信長の重臣柴田勝家や徳川家康の子結城秀康に仕えている。





元亀二年三月十八日の年紀があるこの脇差は、兼植が越前一乗谷で朝倉氏の為に作刀した事実を示す貴重な資料。


元亀元年(1570)

織田信長が朝倉氏らの成敗権を将軍足利義昭に認めさせ、征伐を開始(元亀の争乱)

二年(1571)

織田信長前年の姉川合戦で朝倉勢に協力した本願寺顕如への報復として本願寺を焼き討ちにする。

四年(1573)

朝倉義景盟友の浅井氏救済に失敗。退却途中で自害。







#54 魏志倭人伝が語る五尺の刀

          魏王から卑弥呼へ

数回に亘ってシリーズで、古代の剣を採り上げてまいります。

古代日本を知るうえで欠くことが出来ない『魏志倭人伝』。

その文中に刀の記述があるのをご存じでしょうか?

シリーズ第四回の#55は、今尚謎多い邪馬台国の女王卑弥呼に贈られたという

「五尺の刀」にスポットを当て、推論を展開しました。

古代中国の正史『魏志倭人伝』に登場する倭の小国邪馬台国と女王卑弥呼。正史に明記された「五尺刀」と弊社所蔵の古代刀が、繋がる―??!

 

月刊『銀座情報』 令和六年 3月(449号) 2/16発売

Web公開中






 





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