私の正体は? ―鑑定刀 第十一回【解答】第十一回出題第十一回解答第十回出題第十回解答第九回出題第九回解答第八回出題第八回解答第七回出題第七回解答第六回出題第六回解答第五回出題第五回解答第四回出題第四回解答第三回出題第三回解答第二回出題 第二回解答 第一回出題第一回解答【解答】一振目:[正解]刀 銘 次廣 永正七年二月一日問題1は若狭国の次廣の永正七年二月一日紀の刀でした。刀身が短め、そして茎も短め、鎬地の肉がやや削がれている感じがある・・・戦国時代の刀ではないの?と当たりがつけば上々です。地鉄には沸映りが立ち、梵字や剣の彫が映えています。そういう彫は所謂相州彫で、廣次なんかにもあります。焼きは高く鎬筋に及び、一見、刀身全体に焼が入っているように見えます。皆焼といいますが、これも相州物に多いです。となると、この刀は室町時代中後期の相州伝の作者のものだとなります。相州廣正・廣次なんかが有名です。そして次廣。ところが戦国時代の相州鎌倉界隈は、合戦の舞台になっており、他国へ移住した相州鍛冶もいたのです。次廣もその一人で、彼は相模から若狭へ移住しました。その子供が冬廣です。しかし、この刀・・・殆ど相州物です。寒山博士は若狭の次廣だとしていますが、この刀に関しては相州次廣とみてよいのではないかと思いますねえ。地鉄は透き通るようで、黒ずんでいるわけでもないし。ともかく、出来が優れています。次廣の子冬廣・・・この系統は結構発展します。若狭国小浜に新刀期にも続きますし、安芸国へ行った冬廣もいます。備中国にも。そして雲州冬廣からは幕末、抜群の切れ味で鳴らした高橋長信がでますし。刀 銘 次廣作 永正七年二月一日Katana: Sig.TSUGUHIRO saku / Eisho 7 nen 2 gatsu 1(tsuitachi) 二振目:[正解]冠落造脇差 銘 清人作 文久二年二月日問題2は清人の脇差でした。冠落造で、鋭い姿は一見すると清麿です。そう清麿みたいな姿だなあと思うかどうかが分かれ目ですね。地刃が明るく、抜群に冴えています。そして刃文は焼頭が丸い互の目が連れて、金線・砂流しが目立つ、そして冴える・・・清麿みたいだなあと感得できれば上々の見立てですね。鈴木正雄、栗原信秀、そして齋藤清人と三人が清麿の弟子です。清麿に似て、やはり劣る、とか書かれたりする清麿一門ですが、そんなことはないですね。三人ともうまい。ただ、銘字がまず正雄は草書体風。栗原信秀は楷書ですが、彼は往々にして刀身彫刻があります。銘字は楷書体、刀身彫刻や文字の彫があるわけではないとなると、斎藤清人の作かなあとわかります。名人に似たところがあるとすれば・・・は「名人有似所二ッ酒呑銭無ト(名人に似たる所二つあり酒呑みと銭無しと)」という言葉で、齋藤清人は安政六年に自作の脇差の茎に刻していますが、御謙遜。清人さん、とても上手ですよ。因みに弊社には薙刀もありますよ。それにしても、出羽庄内からはるばる江戸へ出て来て修業。大酒のみの天才はきっと気難しかったんじゃないのでしょうか。そんな師匠を愛し、慕い、亡くなった後、師匠が請けて作れなかった作品を師匠に替わって精鍛し、代金はみんな未亡人にあげて、後始末を済ませたのが清人だったのです。なかなかの人物ですね。神田小川町に住んでいました。 以上です。今回は出題が遅めだったので、考える時間が少なくなってしまい申し訳ありませんでした。8/23から9月号をWebサイト上で公開しておりますので、出題した刀の解説ページも併せて御覧になってみてくださいね。
第十一回出題第十一回解答第十回出題第十回解答第九回出題第九回解答第八回出題第八回解答第七回出題第七回解答第六回出題第六回解答第五回出題第五回解答第四回出題第四回解答第三回出題第三回解答第二回出題 第二回解答 第一回出題第一回解答【解答】一振目:[正解]刀 銘 次廣 永正七年二月一日問題1は若狭国の次廣の永正七年二月一日紀の刀でした。刀身が短め、そして茎も短め、鎬地の肉がやや削がれている感じがある・・・戦国時代の刀ではないの?と当たりがつけば上々です。地鉄には沸映りが立ち、梵字や剣の彫が映えています。そういう彫は所謂相州彫で、廣次なんかにもあります。焼きは高く鎬筋に及び、一見、刀身全体に焼が入っているように見えます。皆焼といいますが、これも相州物に多いです。となると、この刀は室町時代中後期の相州伝の作者のものだとなります。相州廣正・廣次なんかが有名です。そして次廣。ところが戦国時代の相州鎌倉界隈は、合戦の舞台になっており、他国へ移住した相州鍛冶もいたのです。次廣もその一人で、彼は相模から若狭へ移住しました。その子供が冬廣です。しかし、この刀・・・殆ど相州物です。寒山博士は若狭の次廣だとしていますが、この刀に関しては相州次廣とみてよいのではないかと思いますねえ。地鉄は透き通るようで、黒ずんでいるわけでもないし。ともかく、出来が優れています。次廣の子冬廣・・・この系統は結構発展します。若狭国小浜に新刀期にも続きますし、安芸国へ行った冬廣もいます。備中国にも。そして雲州冬廣からは幕末、抜群の切れ味で鳴らした高橋長信がでますし。刀 銘 次廣作 永正七年二月一日Katana: Sig.TSUGUHIRO saku / Eisho 7 nen 2 gatsu 1(tsuitachi) 二振目:[正解]冠落造脇差 銘 清人作 文久二年二月日問題2は清人の脇差でした。冠落造で、鋭い姿は一見すると清麿です。そう清麿みたいな姿だなあと思うかどうかが分かれ目ですね。地刃が明るく、抜群に冴えています。そして刃文は焼頭が丸い互の目が連れて、金線・砂流しが目立つ、そして冴える・・・清麿みたいだなあと感得できれば上々の見立てですね。鈴木正雄、栗原信秀、そして齋藤清人と三人が清麿の弟子です。清麿に似て、やはり劣る、とか書かれたりする清麿一門ですが、そんなことはないですね。三人ともうまい。ただ、銘字がまず正雄は草書体風。栗原信秀は楷書ですが、彼は往々にして刀身彫刻があります。銘字は楷書体、刀身彫刻や文字の彫があるわけではないとなると、斎藤清人の作かなあとわかります。名人に似たところがあるとすれば・・・は「名人有似所二ッ酒呑銭無ト(名人に似たる所二つあり酒呑みと銭無しと)」という言葉で、齋藤清人は安政六年に自作の脇差の茎に刻していますが、御謙遜。清人さん、とても上手ですよ。因みに弊社には薙刀もありますよ。それにしても、出羽庄内からはるばる江戸へ出て来て修業。大酒のみの天才はきっと気難しかったんじゃないのでしょうか。そんな師匠を愛し、慕い、亡くなった後、師匠が請けて作れなかった作品を師匠に替わって精鍛し、代金はみんな未亡人にあげて、後始末を済ませたのが清人だったのです。なかなかの人物ですね。神田小川町に住んでいました。 以上です。今回は出題が遅めだったので、考える時間が少なくなってしまい申し訳ありませんでした。8/23から9月号をWebサイト上で公開しておりますので、出題した刀の解説ページも併せて御覧になってみてくださいね。
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