乗牛読書図鍔(鐔) 銘 米澤住重斯
Shigenori
牛の背に後ろ向きで座り読書する人物は、中国の隋末に割拠した群雄の一人、李密(582年─619年)。官職を辞し、史記や漢書を学んでいた時期の姿である。大振りの竪丸形は空間を贅沢に使い、ゆったりとした趣。うっすら鋤き出された雲が流れ、重なり合った唐松の高彫には金象嵌の松毬が輝く。なだらかに柔らかく盛り上がった李密と牛の高彫。牛の背にはうっすらと背骨が浮かび、読書に熱中する主人を気遣うかのように見上げている。
裏は寂びた余韻を残す楼閣山水図。会津住重斯、または米澤住重斯と刻銘した菊池重斯には、薪を背負って読書する朱買臣図鐔(銀座長州屋蔵)という作がある。「ながら読書」は学習意欲が庶民層にまで浸透した江戸時代後期の世相の表れかもしれない。
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170,000
松樹騎馬菊水図鍔(鐔) 銘 法安
Hoan
大振りで光沢のある鍛えの良い鉄地。自然光で見るとやや赤みを帯び、所々黒味の強い錆色を呈する。薄手の造りだが、耳には数条の合わせ鍛えの跡を見せる。腐らかし(*)の技法により独特の雅味のある薄肉彫りを得意とした法安。絹糸よりも細い線は、溶けて消え入りそうでありながら確かに存在し、時に激しく渦を巻き飛沫を上げる。関連性があるのかないのか、画面に散りばめられた紋様は、菊水、菊の葉、海老(髭が異様に長い)、松、騎馬人物である。菊、海老、松は不老不死、延命長寿の祈念であろう。疾駆する馬と手に長い棒状のものを持った人物は何を表しているのか。そもそも全てに意味を見出そうとする姿勢にも問題があるのかもしれない。光の当たり方で鮮明にも見える薄肉彫りは、陽炎越しに景色を見ているような不思議な感覚が心地良い。法安は山吉兵とほぼ同時代に活躍し、共に尾張における在銘鐔の先駆けとなった名工である。
(*)腐らかし 鉄鐔における彫刻技法のひとつ。文様のところに耐酸性の塗料を塗っておき、その他の部分を腐食させ、文様を浮き上がらせたもの。焼手腐らかし、腐食彫りともいう。
特別保存
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七福神図鍔(鐔) 銘 長州萩之住友房作
Tomofusa
七福神信仰は、室町時代後期、禅宗の隆盛とともに「竹林の七賢人」に倣って成立したという。それ以前は大黒天と恵比寿の二神が福神として盛んに祀られた。装剣小道具においても古後藤の目貫や小柄、笄にこの二神が見られ、大黒天と恵比寿が相撲をとる「福神相撲図」という面白い画題もある。延命長寿、商売繁盛という現生利益を祈念する七福神信仰は、その後広く庶民に浸透していった。江戸後期には新春の散策を兼ねた七福神巡りなども盛んにおこなわれるようになる。長州鐔の美点である鍛え良く黒味の強い鉄地を浅い打ち返しの丸形に仕立て、琵琶をかき鳴らす弁財天を囲むように毘沙門天、布袋、寿老人、大黒天がいる。寿老人は楽しげに踊り、空には鶴が舞う。竹と松を背後に福禄寿が盃を持ち、恵比寿は亀を呼び寄せる。何ともおめでたい図を鋤出高彫に象嵌色絵で彫り描いた、江戸後期の長州金工友房の作である。
特別保存
180,000
渦文鍔(鐔) 無銘 古金工
Ko-kinko
数百年の時が降り積もった山銅地。大振りでほぼ真丸形の鐔は耳に向かって肉を落とし、耳際の厚さは僅かに1.9mm。かつての所持者達から余程愛好されたのであろう。始めは太刀の拵用として作られ、後に打刀拵の鐔となった。小柄笄櫃の形も古風である。そしてなんといっても文様が興味深い。同心円状に連続して展開するS字状の渦文は大きな五重の波紋となる。渦文は地球上のあらゆるところに存在する最も古い文様。日本では縄文土器にも見られる。渦はシンプルかつ的確に水の流れといった生命の根源を表し、転じて子孫繁栄を意味する吉祥文となる。ラヴェルのボレロのように、繰り返されるシンプルな文様は抗しがたい魅力を放つ。
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井伊家家紋散図鍔(鐔)銘 濱野直寛(花押)
Naohiro
井桁紋と橘紋といえば「井伊の赤備え(あかぞなえ)」で勇名を馳せた彦根藩井伊家の定紋と替紋(旗印)であろう。徳川家康に見いだされ、徳川四天王と呼ばれるほどの武将となった初代彦根藩主井伊直政。あまりに勇猛果敢だったので、時に家康に諫められたという逸話があるが、諸大名との政治交渉にも抜群の手腕を発揮し家康の片腕となって江戸幕府の設立に貢献した。
端正な赤銅魚子地四ツ木瓜形の四隅に猪目小透を配し、耳は厚く金色絵をかけて石目地仕上げとしている。井桁紋は高彫と金平象嵌。平象嵌はその上に更に魚子が撒かれている。橘紋は紋高い高彫に厚く金色絵がかけられ、微細な魚子地に浮かび上がって輝く。
濱野直寛は、出羽山形藩主秋元但馬守の抱工佐野直好の門人。佐野一門は家紋の高彫色絵も得意としている。
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野晒図鍔 無銘 甚吾
Jingo
人は死ねば皆髑髏となる。その無常観を表現した作。志水甚(じん)吾(ご)は肥後金工を代表する名流。素朴な鉄地や真鍮地、素銅地を巧みに処理し、個性的な構成で主題の本質に迫った。この鐔は、深みのある色合いの素(す)銅(あか)地を肉厚に地造りし、地面を中低に仕立て、高彫と毛彫に金の露(つゆ)象嵌(ぞうがん)を加えて枯れた野の様子を、赤(しゃく)銅(どう)の高彫象嵌で草の陰に朽ち果てて忘れられた人骨を彫り表わしている。印象的なのは裏面の銀平(ひら)象嵌(ぞうがん)による三日月。誰にも気づかれることなく、また葬られるわけでもなく、ただ野に屍を晒しているだけ。それを知るのは月のみか…。
特別保存刀装具鑑定書(甚吾)
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飛燕図鐔 銘 天台山麓園部芳英(花押)
Yoshihide
園部芳英は芳継の子で文化三年の生まれ。精巧緻密な高彫表現を得意とした。この鐔は、春の暖かい風を切り裂いて飛翔する燕を彫り描くことで、どこまでも青く清らかに澄む空気を表現した鐔。涼やかに流れる小川と、そのほとりに咲く蒲公英、土筆、遠く広がって天に溶け込む大地も、総てが空気のありようを演出する素材。陽の光を大地に届けてくれるのが空気。円周状に打ち施した魚子地も燕や草原に生命感を与えている。赤銅の黒、銀の白、目玉の金、頬の素銅とわずかの色金ながら、写実的高彫描写された燕は細部まで精密。小川の流れは高彫で、切羽台のみ銀の平象嵌。総ての彫刻技法が優れて美しい。
特別保存
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文様散鍔(鐔) 無銘 平安城象嵌
Heianjo zogan
そもそも犬が画題として取り上げられることが珍しい。しかも時代の上がる鐔に、である。画題としての犬は、じゃれあう仔犬や、座頭に絡む野犬、野晒とともに描かれる餓狼などが典型。本作のような猟犬が描かれるのは極めて珍しい。蓑笠を付けた人物の後を追う犬の全身から嬉しい楽しい気持ちが伝わってくる。絵風鐔への過渡期と考えられる作。引き締まった小振りの鉄地全体に展開する真鍮地高彫象嵌は、それぞれ関連性があるのか無いのか不思議な取り合わせである。しかも木賊を刈る人よりも巨大な海老やカマキリ、野菊など、何を基準としてそうなったのか、できることなら作者に聞いてみたい。現代の感覚では捉えきれない面白さが凝縮されている。実用の点からの不思議は小柄櫃に設けられた鉄地の当て金である。小柄のためなら柔らかい銅を用いた方が良いのではないか。全体の色合いを変えたくないという美観を追求してのことだったのだろうか。謎多き鐔の最大の謎を最後に。裏面の茎櫃周辺の一部に魚子が撒かれているのだ。赤銅魚子地の古金工や古美濃の鐔の切羽台には、試し打ちであろうか、稀に数条の魚子が撒かれていることがあるが、鉄地の切羽台に魚子が撒かれているのを初めて見た。滑り止め?どなたかご存知ならご教示願いたい。
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160,000
鶺鴒図鍔(鐔) 無銘 知識
Chishiki
引き締まった縦に長い丸形は知識派の一特徴を示す。青味を帯びた上質の赤銅地には、川霧であろうか、微細な石目が耳にまで施されている。水辺の境界を垂直に掘り下げ、片切彫のように地を斜めに削いだ輪郭線によって柔らかな風合いを見せる砂浜。鐔の表裏に一羽ずつ描かれた鶺鴒は、立体的に彫り出された高彫の周囲を浅く鋤き込み、その姿を更に強調している。剣尖の動きにたとえられる鶺鴒の尾の動き。他流派のことで示現流とはあまり関連が無いので、ここではしっとりした水辺の情景を描いているのであろう。鶺鴒は尾を上下に振りながら滑るように移動するさまが愛らしく、鳴き声も美しい。松葉の毛彫は絵筆で描いたかのように軽快。赤銅一色に彫刻の深浅強弱のみで表現された世界から、奥行きのある豊かな色彩が感じられる。知識派の金工は、後藤宗家で彫金の技術を学んだ者も多い。中でも兼置は最も技量高く、構図や構成においても優れた感性を発揮した名工である。
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160,000
三聖吸酸図鍔(鐔) 銘 直丈
Naotake
過剰と思えるほどの装飾だ。点景、背景、装束の文様が色味を変えた金象嵌で隙間を埋め尽くすようにちりばめられている。この作品の主題を装飾に埋もれさせて隠したがっているのではないかと思うほどだ。
大振りの鉄地竪丸形の中央に薄肉彫りで酢の入った大甕を据え、それを囲むように釈迦(仏教)、孔子(儒教)、老子(道教)の三聖人が立っている。何やら楽しそうで、特に中央の釈迦は歯を見せて大笑いしている。「三聖吸酸(さんせいきゅうさん)」または「酢吸三教(すきゅうさんきょう)」と称されるこの図は、誰が舐めても酢は酸っぱいように、教義や宗教が違っても真理は一つであるということをわかりやすく表している。室町時代に中国から伝えられたこの図は禅画で好まれ、後に寺社建築の彫刻にも採られている。裏側は鋤き出された岩の間を清冽な水流が迸る。清らかな水の流れを遠近、高低で奥行きを出した金象嵌の草木が鮮やかに彩っている。
武陽住と銘する直丈は、作品の類例は少ないが、本作の見事な象嵌技術や表情豊かな人物描写を見れば優れた金工であったことがよくわかる。
特別保存
280,000
雪輪に雪花文鍔(鐔) 銘 壽光(花押)
Toshimitsu
極々浅い打ち返し耳によって強調された、溶けかかった雪玉のような変り形。氷柱で覆われ、降り積もった雪の表面には薄肉彫りと高彫象嵌で美しい雪の結晶が描かれている。小柄櫃を縁取るのは雪輪文。江戸時代後期、古賀藩主土井利位(としつら)が雪の結晶を観察し、『雪花図説』にまとめ出版したところ、雪花文様(雪の結晶の文様)が大流行した。装剣小道具も大いにその影響を受け、一乗派や東龍斎派に雪花文を主題とした美しい作品があるが、本作からは凍てついた空気まで伝わってくる。渡辺壽光は東龍斎清壽の門人。風景から人物図まで師風をよく受け継いだ優れた作品を残した。
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虎渓三笑図鍔(鐔) 銘 九州肥後国遠山作
Toyama
橋のたもとで三人の人物が大笑いしている。虎渓は中国江西省の景勝地廬山の渓流。三人の人物は、中央が慧遠法師、向かって右側が陶淵明、もう一人が陸修静である。この地に隠棲した慧遠法師は、来客が帰るときは貴賤の別なく見送りをしたが、決して虎渓に架かる橋を渡ることはしなかった。ある日、訪ねてきた陶淵明と陸修静とともに時を忘れて清談に興じ、二人を見送る際もつい話に熱中し、気付いた時には橋を渡ってしまっていて三人で大笑いした、という故事。物事に熱中するあまりほかの全てのことを忘れてしまう事のたとえである。引き締まった竪丸形は鍛え良く、手強い印象。遠山派は小透や布目象嵌を施した大胆で簡潔な意匠が多いのだが、高彫でこれほど詳細な描写の絵風鐔は極めて珍しい。重厚でありながらどこまでも明朗な雰囲気を纏っている。据紋式高彫象嵌で特色ある動植物や人物図を彫った遠山頼次の作であろう。
特別保存
400,000
琴高仙人図鍔(鐔) 銘 正壽軒知久
Tomohisa
琴の名人琴高仙人は古代中国の仙人。ある日、弟子に龍の子を捕まえると約束する。約束の日、琴高は鯉の背に乗って水中から現れたという。滝を昇りきれば龍になるといわれている鯉は龍の子と言えなくもない。表側には激流に逆らい川を泳ぐ鯉とその背にまたがり巻物を広げる琴高仙人。見上げた視線の先は裏側に彫り描かれた滝である。琴高仙人が手にしている巻物には龍門の場所が記されていて、「さあ、お前はこれからあの滝を昇りきって龍になるのだ。」とでも言っているようだ。鯉の目線がやや後ろを向いていて、困惑顔に見えるのも面白い。
柔らかな衣の質感、その中に確かに肉体が存在すると感じさせる肉置き。髪や髭、表情や指先まで丁寧で詳細な描写が見事である。赤銅高彫の鯉は、なだらかに抑揚をつけた肉付けに写実的な鱗や鰭、顔周りには有るか無きかの毛彫りを添えて生き生きと描かれている。正壽軒知久は、水戸藩抱え工の玉川吉長の門人。
特別保存
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竹生島図鐔 銘 山城国伏見住金家
Kaneie
金家は、禅に題を得た図柄や、達磨、李白など歴史的な人物を鐔に彫り描いたが、同じ鐔面に金家が生きた時代の京都周辺の風景を採り入れているものがある。主題も、歴史や伝説といった時の彼方のものばかりではなく、飛脚図や曳舟図のように、より身近な出来事への興味をも示していると思われ、同時代の装剣小道具の製作者の中においては歴史を研究する上でも興味深い作品を遺した識者で、特異な存在と言えるであろう。
この鐔は、京にほど近い近江国琵琶湖が舞台とされた謡曲『竹生島(ちくぶじま)』を主題とした作。『竹生島』は室町時代初期の金春禅竹作と伝えられ、明るく軽快な内容が好まれて演じられたという。
古甲冑師鐔のように鍛えの頗る良い鉄地は、叩き締めた鎚の痕跡が明瞭に残されて景色となっている。この鍛え肌も拳形とも呼ばれる独特の形状と共に金家の特質。さらに、打ち返された耳が抑揚変化し、鐔という画面を無限の空域へと連続させている。表は琵琶湖畔で左手網(さであみ)を肩に小鮎漁に向かう海女姿の弁財天。謡曲『竹生島』では老漁師と海女が主題とされているが、金家は実際に取材した海女一人を、遠く眺める山並みを背景として印象深く彫り描いている。足元は砂浜に寄せる波であろう、微かな毛彫表現。一方裏面は夜の湖面。謡曲『竹生島』よりイメージした、月に輝く湖面を跳躍する兎。いずれも鍛着部が判らないほどに精巧な共鉄象嵌(ともがねぞうがん)。僅かに銀象嵌を加えている。
金家が見たのは、そして彫り描いた月は、伝説と現実が交わる夢玄への入口に他ならない。
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瓢朝顔図鐔 銘 信家
Nobuie
桃山三名人の一人に数えられている信家(のぶいえ)は、永禄から天正年間の尾張清洲で活躍した信家以降複数人の存在が考察されているが、戦国時代という背景から活動の記録が極めて少ない。このように在銘作が遺されている割りに謎めいた存在である点も魅力の一つで、江戸時代から既に研究の対象とされている。作行は、切羽台に比較して耳際の厚い頑強な鉄地の仕立てで、文様の打ち込みや毛彫、筋彫などを組み合わせた簡潔ながら複雑な描法。図柄は葡萄や瓢箪、朝顔など蔓様の植物を唐草風に鐔全面に施したものが多く、また、鋤彫により御題目文字などを加えた作もある。これら毛彫鋤彫が、錆び色黒く光沢のある地鉄に現れた鉄骨(てっこつ)など素材そのものの働きと複合し、地相に動感を生み出しているところが見どころ。特に初期の作には室町時代の甲冑師鐔にも通じる素朴な美観が備わっており、時代の降った写し物にはない景色が愛鐔家垂涎の的となっている。
この鐔が典型。銘は所謂放れ銘。古くから戦国時代の実用的な拵に合うと評価されているようにバランス良く、強い衝撃にも耐え得るよう耳際を厚くした構造も覇気に富んでいる。鍛えた鎚の痕跡を残す地面も、色合い黒くねっとりとした渋い光沢で一段と強味が感じられる。耳の所々に現れているさらに色の黒い鉄骨には山吉兵の鐔に見られる小さな炭籠りを想わせる働きも窺え、地の抑揚に能動的変化を与えている。図柄は夏の陽を受けて無限に蔓を延ばして行くかのような、永遠の生命を暗示する瓢箪と朝顔。この両者は信家を説明する上で外すことのできない図で、ここでも地肌に溶け込むような素朴な毛彫の組み合わせとされている。
特別保存
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遊戯獅子図鍔(鐔) 銘 長﨑之住勘治作之
Kanji
七頭の獅子が群れ遊ぶさまを布目象嵌で表現したユーモラスで躍動感ある作。それぞれの獅子の目線を追っていくだけでも楽しい。特に毬を掴んで齧っている素銅の獅子とその獅子の腰に噛みついている子供の獅子が見交わす目と目のやり取りが面白い。犬や猫を複数で飼ったことがある人ならよくわかる光景だろう。長崎という土地柄であろうか、異国情緒漂う南蛮様式の布目象嵌を得意とした勘治。金は色味を変え、体には毛彫で丸を描き巻毛を表している。尾や鬣の線描写は細く引き締まり、爪の先に微かに銀を施した入念作である。いわゆる南蛮と呼称される鐔は全て無銘であるが、この鐔のように長崎の居住地と自らの銘を刻した作例は極めて少ない。
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220,000
月下繋馬図鍔(鐔) 無銘 柳川派
Yanagawa school
銀色に輝くのは十八夜か、それとも十九夜の月であろうか。薄野原を照らす冴え冴えとした月明かりの下、馬が一頭草を食んでいる。裸馬ではあるが、放れ馬ではない。馬を繋ぐ綱は鐔の耳から裏側へまわり、朽ち木に括り付けられている。旅の途中であろうか、何か物語を感じさせる情景である。小肉のついた耳にまで撒かれた微細な魚子は整然として美しい。量感のある高彫の馬は、大きな目が印象的。柳川派の特徴を示す豊かな鬣と引き締まった力強い体躯をしている。柳川派の祖である直政は、横谷宗珉の直門。横谷式の赤銅魚子地高彫を得意とした。続く直光、直春、直連ら本家の頭領をはじめ門人達も代々その技を受け継いで栄えた。
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220,000
唐松繋図鍔(鐔) 銘 武州住吉正
Yoshimasa
慶事の特別な外装のために作られたのであろうか。青味を帯び、ずしりと重い上質の赤銅地の外周に菊花のような唐松文様を十三個繋ぎ置いた、目を引く意匠の鐔である。
平地は丁寧な石目地仕上げ。唐松は、新芽と葉を真上から見て放射状にとらえ、中心を低くし、外側に向かって高さと厚みが増していく。中心は三星様の金色絵露象嵌が輝く。
十三という数に何か意味があったのだろうか。縁日が十三日の虚空蔵菩薩(広大な宇宙のような無限の知恵と慈悲を持った菩薩)と何か関係があるのか。十三月が正月の異名であるとか、数え年十三歳の十三参り。十三を「とみ(富)」と読ませて縁起を担ぐなど。数にまつわるエピソードにも興味は尽きない。
鉄鐔の多い武州鐔にあって、上質の赤銅を厚く贅沢に使った本作はやはり特別の需に応えた作なのであろう。銘鑑に「松葉文透の鐔がある」という「透」は誤りで、本作のことを指していると思われる。
特別保存
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児島高徳図鐔 無銘 加賀後藤
Kaga Goto
元弘の変に敗れて隠岐に流されることとなった後醍醐天皇を救出すべく、闇に紛れて天皇行在所に忍び込んだ児島高徳だが、護りが固いため、桜の幹に「天莫空勾践(てんこうせんをむなしゅうすることなかれ) 時非無范蠡(ときにはんれいなきにしもあらず)」の詩を残して去った。天皇はこの文字を目にして勇気づけられ再起を図ったという。
赤銅魚子地を闇夜に見立て、満開の桜を前に筆を手にする高徳の姿を極肉高に彫り出し、金銀の色絵を濃密に施し、高徳の厳しい表情をも精密に再現している。加賀前田家仕え、交代で金沢に居住した後藤覚乗や従兄弟の顕乗等は、加賀後藤と呼ばれている。
特別保存
600,000
鳩に鏃図鍔(鐔) 銘 後藤光久(花押)
Mitsuhisa
切込みの浅い木瓜形を打ち返し耳とした一乗派が得意とする造り込み。陶板のように光沢のある鉄地には鳩と鏃の高彫象嵌。空には棚引く雲が金と赤銅の直線で簡潔に表わされている。写実的な鳩と鏃との異なる表現方法が興味深い。鳩は八幡宮を、弓矢は八幡太郎義家、あるいは武士そのものを連想させるが、本作は弓矢ではなく散らばった鏃である。一乗派には朽ちた木材や古瓦を散らし置いた図の鐔がある。光久も得意とした画題で、動乱の時代の影響か、無常観や寂寥感、郷愁を誘う。制作年はわからないが、本作もやはり世情を反映して、一つの時代の終わりを暗示しているのではないか。そう考えると大和絵風の雲にも何か含みがあるようにも思われる。光久は後藤一乗の兄是乗(光凞)の子で治左衛門家の六代目を襲った。一乗に似た作風の上手である。
特別保存
230,000
鹿角竹虎図鐔 銘 平安城吉久
Yoshihisa
鹿角に蜂で俸禄。鹿角に蟻は禄有り。では鹿角に竹虎は何を意味するのであろう?
大振りで鍛えの良い鉄地は耳に向かってやや肉を落とした竪丸形。その耳に切り取られた鹿角を廻らし、それよりもはるかに小さな虎を真鍮象嵌している。角には毛彫りと真鍮の線象嵌が施され、切り口は写実的。判じ絵であろうか、何とも不思議な図である。鹿の角から連想するものを書き連ねていてはたと気がついた。敵の侵入を防ぐために鹿角のように枝の先端を尖らせて外側に向けた障害物を逆茂木という。その別名は鹿砦(ろくさい)、または逆虎落(さかもがり)。これは武運長久の願いが込められたものではないだろうか。虎があまりに小さく可愛らしいのが何とも味わい深く面白い。吉久は平安城式象嵌を得意とした江戸時代初期の鐔工。
特別保存
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菅公留守模様図鍔(鐔) 銘 肥前国住忠行作
Tadayuki
東風吹かば 思い起こせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな 『捨遺和歌集』
海ならず 湛える水の 底までに 清き心は 月ぞ照らさむ 『新古今和歌集』
菅原道真が詠んだ歌二首を象徴する情景を表裏に描いた菅公留守模様図。鍛えの良い鉄地は錆色深く、滑らかな手触り。梅樹の背景に深く、浅く打ち込まれた槌目は霜を置いた土にも、降る雪にも見える。天に向かって伸びる細い枝にはふっくらとした高彫で可憐な梅花が咲き匂い、折れて節くれだった太い幹は高彫に荒々しい鏨運びで老木の肌を表している。裏面は、大宰府へ左遷の途上、備前国児島郡八浜で詠んだとされる「海ならず」の歌の景色。ただ一艘の船が行く先を彼方の月が煌々と照らしている。
忠行は肥前刀工忠吉の末に連なり、嘉永三年三月日と年紀のある風景図鐔を遺している。
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登龍門図鍔(鐔) 銘 松翠軒美章寫 玉川図
Yoshiaki
鯉が滝を登り切れば龍になるという伝説を表した「登龍門図」は立身出世を祈念する好画題。(萩谷勝平にも同図がある。)大振りの鉄地木瓜形は耳に向かって肉を落とし、銀覆輪が品良く画面を際立たせる。激しく立ち上がる波は生き物のような流動性を見せる高彫。必死の形相で滝に挑む鯉。鱗は密実で、背鰭は繊細に翻る。丸太を重ねた橋は、甲鋤彫りを思わせる細かな鏨運びが見られ、雲は片切彫と毛彫の併用。広狭、深浅、強弱がはっきりとしたメリハリのある彫法で迫力ある場面を描いている。雲は低く垂れ込め、川面は波立ち、雨が激しく打ち付ける。この川を遡り、次第に狭く激しくなる流れに逆らい、ついには滝を登りきる。鯉は龍となって生まれ故郷の川に恵みの雨をもたらせたのかもしれない。水戸玉川派の美章には一柳友善との合作の龍虎図鐔や仙人図小柄がある。
特別保存
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