top of page
1000_1000.fw.png

​良業物

【 良業物 】

長船盛景 丹波守吉道(京・初代) □丹波守吉道(大坂・初代)          □近江守助直 □長船則光(助右衛門) □長船則光(五朗左衛門)

□伊賀守貞次 □武蔵大掾是一(初代) □一竿子忠綱 □兼定(関・三代) □金房正真 □長船秀助 □相州綱広(初代) □関兼房(文亀)

□関兼常(福三郎) □丹波守吉道(京・二代) □丹波守吉道(大坂二代)□越前康継(初代) □越前康継(二代) □会津政長 □長船宗光(左京進)□越後守国儔 □丹後守直道 □家助(次郎左衛門・二代)

□上総介兼重 □越前兼植(初代) □日置出羽守光平   □長船忠光(彦兵衛・初代) □長船忠光(彦兵衛・二代) □長船忠光(彦兵衛・三代)

 □長船勝光(右京亮)  □長船勝光(次郎左衛門) □高田行長              南紀重国(初代) □会津兼定  □長船祐定(永正・九代末) □坂倉正利(初代) □坂倉正利(二代) □長船法光(初代)  □長船法光(二代)

氏房(初代) □越前兼則 □越前兼法 □伊勢大掾吉広 □日置対馬守常光 □日置越前守宗弘 □備中守康広(初代) □長船祐光(嘉吉頃)□近江守久道(初代) □大和大掾正則(初代)  □大与五国重 □岡山国宗

□武蔵守吉門 □仙台国包(二代)  □山城大掾国次(初代) □摂津守忠行(初代) □奥和泉守忠重 □ 大和守安定                        

「業物位列」は、須藤五太夫睦済(すどうごだゆうむつずみ)と山田朝右衛門吉睦(よしむつ)が行った試し斬りを拠り所に、柘植方理平助が刀の斬れ味の良否を位付けした切れ味の評定位列。
評定として「最上大業物:さいじょうおおわざもの」「大業物:おおわざもの」「良業物:よきわざもの」「業物:わざもの」の四つの位列がある。

良業物

銘 吉次(鞍馬関)

 吉次には鞍馬住と銘した明応八年の脇差があることから時代と居住地は明らか。『古今鍛冶備考』には、吉次の本国は関で鞍馬関と称され、京信国、相州秋広に師事して帰郷したとある。一方、作風を平安城長吉一派の「三條吉則に似る」(藤代版『日本刀工辞典』)とする意見もあり、吉の銘字も「𠮷」となって長吉や吉則に近似することから、長吉や吉則と同じく京鍛冶で、一時関や相州に駐鎚して帰京したとの見方)も否定できない。

銘 吉次(鞍馬関)

良業物

銘 上総介藤原兼重 天和二年二月(松川二良所持)(良業物)

 上総介兼重は寛永二年の生まれ。江戸千手院派の和泉守兼重の子または門人で、長曽祢虎徹と時期をほぼ一にする、江戸新刀を代表する刀工の一人。明治三十九年乃木大将は谷干城邸で兼重の刀を試し、「試家猪両車拂土壇」と截断銘を入れている程の抜群に刃味を誇る。

銘 上総介藤原兼重 天和二年二月(松川二良所持)(良業物)

良業物

銘 兼房 笛巻塗鞘脇差拵 鼠の嫁入図総金具 鐔・縁頭 銘 弘義(花押)

 関七流徳永派の兼綱の工銘は室町時代文明頃に始まり、天文、弘治頃、さらに時代が降って天正頃を経、新刀期にまで及んでいる。慶長頃には四郎右衛門、又四郎、孫四郎、孫三郎、七右衛門、又三郎、孫十郎の七工が知られている。
 新刀初期の兼綱と極められているこの刀は、元先の身幅のバランスが良く、中鋒延びごころに適度な中間反りが付いて姿が伸びやか。鎬筋が高く平肉が付き、どっしりと重量がある。

銘 兼房 笛巻塗鞘脇差拵 鼠の嫁入図総金具 鐔・縁頭 銘 弘義(花押)

良業物

銘 備州長船則光 永享十二年八月十五日(良業物)

 長舩則光の作例稀な景光写しの短刀。古くから寛正則光の尊称があるように、則光は室町時代中期永享から寛正頃を主活躍期とする同時代備前の中心的な刀工。この短刀は元来の重ねは極めて厚く、茎仕立ても特に丁寧で張りがあり、刃文構成と表裏の彫刻からも特別の注文作であったことが想像される。差表は不動梵字、裏は剣に巻きついてこれを呑み込まんとする古風な意匠の龍の彫刻で、これもまた景光伝。

銘 備州長船則光 永享十二年八月十五日(良業物)

良業物

銘 三条住吉則(良業物)

 三条吉則は室町後期文明頃の京都の刀工で、遺作には精良な地鉄に梵字や倶利迦羅の刀身彫刻が映えた刀、脇差、槍等があり、「於和泉国邦作」「於越前」の駐鎚銘のある作が知られている。これは、室町将軍と守護大名の間の様々な思惑に起因する軍勢の移動に、吉則など山城鍛冶が従った事を示唆するもの。

銘 三条住吉則(良業物)

良業物

無銘 大宮盛景 切付銘 南無阿弥陀仏

 爪付きの素剣、梵字、鍬形、蓮台、護摩箸の刀身彫に、「南無阿弥陀佛」の文字が茎に刻された大平造脇差。至近の敵に片手で抜き放って用いるべく身体に合わせて短く仕立て直し、太刀に差し添えた実戦武器で、南北朝期の備前大宮盛景と鑑定されている。大宮派は、山城より備前に移住と伝えるが、近年の研究では、銘字に左から右への逆鑚が目立つことから、長光一門の近景に近い刀工と考えられている。

無銘 大宮盛景 切付銘 南無阿弥陀仏

良業物

銘 丹波守吉道 慶長五年三月吉日

 丹波守吉道初代は江戸初期、京都西洞院竹屋町通下ルに住して禁裏の御用を勤めた刀工。「丹」の字の銘形が帆掛け舟の帆に見えるところから帆掛丹波の異名があり、沸付いた刃縁に幾重にも層を成す独特の刃文で名手の誉が高い。

銘 丹波守吉道 慶長五年三月吉日

良業物

銘 藤原行長

 大小一腰の大刀。行長は江戸初期に豊後国高田で活躍した刀工。鎬地の肉が削がれて鎬筋が強く張り、刃先は冷たく澄み、切れ味の良さを偲ばせる。鉄質優れ、淡く乱れごころの映りが立ち、直刃調の刃文が長舩清光を想わせて見応えがある。
趣味の良い尾張拵に納められている。

銘 藤原行長

良業物

銘 金房新郎(金房正真)

戦国期、興福寺の門前に栄えた金房(かなぼう)一派は、兵衛尉政次、隼人丞正真ら優工を擁し、精強な刀や槍、薙刀を以て武将の需に応えた。
 この短刀は、茎に「金房新郎(しんろう)」と俗名のみが刻された珍しい一振で、作者は金房正真。

銘 金房新郎(金房正真)

良業物

銘 大和守安定

 大和守安定は元和四年紀伊国の生まれで、名を富田宗兵衛という。江戸前期の慶安頃、将軍膝元の江戸に出、神田白銀町に鍛冶場を構えた。「天下開闢以来五ツ胴永久六十四歳」の截断銘入の作もあり、長曽祢虎徹に勝るとも劣らぬ刃味の良さで、江戸の武士たちの信頼を得ていた。

銘 大和守安定

良業物

銘 正真(金房)

 隼人丞正真は、戦国時代の大和に栄えた金房派の刀工で、しっかりとした造り込みの刀や十文字槍の遺例をみるように、同時代に盛んに用いられるようになった実戦武器の製作において戦国武将の信頼を集めていた。

銘 正真(金房)

良業物

銘 兼房

 桃山時代。 美濃国。 兼房は美濃の惣領鍛冶の立場にあり、兼定、兼元、兼常などと共に知名度の高さを誇る美濃国の代表工。兼房乱れと呼ばれる焼頭の丸い独特な刃文に特徴があり、華やかさと切れ味の両立を以て刀剣界に遍くその名を轟かせている。

銘 兼房
bottom of page